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デザインの輪郭。

2009年8月23日 日曜日

深澤直人さんの「デザインの輪郭」を読みました。
深澤さんが「ひとりごとのようなもの」と記されているように、深澤さんの当時のデザイン観がゆったりと語られた内容です。

深澤さんといえば、±0 が思い浮かぶ人が多いのではないかと思います。私自身も、±0、au の Infobar などプロダクトデザイナーとしてのお名前しか知りませんでした。本書を拝読して、深澤さんのデザインの姿勢が、所謂ふつうの生活に根付いたものであるという印象を持ちました。

印象的だった内容を抜粋しておきます。

Without thought。

僕がこれを考えたように見えるといわれますが、それは僕が考えたわけではなくて、そうなるべき姿であったということの結果だと思います。

“傘立てのデザインの1つの解としてのタイルの溝” を挙げて、これを「行為に溶けるデザイン」とも述べられています。そして、デザインを先行して思案者の勝手な理屈やストーリーを展開するのではなく、行為に内包されている事象と記憶の中からデザインのきっかけを見い出すことの重要性を説いています。

確かに、後付けされた理屈は、初見のインパクトやその場しのぎには効果はありますが、デザインを長く捉えた時の色褪せ方というか魅力に欠けるものだと、妙に納得してしまいました。まぁ、後付けする理屈のクオリティにも依りますが…。

気付きのズレ、遅れの妙味

最初に見たときに、そのかたちの意味がよくわからないというのがいいと思う。なにかあたりまえなことをしていて、それが立ち現れてきたときに、「あれ?」・・・「!」となるのがいい。 – (中略) – この気付きのズレ、遅れがいいと思っている。このわずかな気付きのタイムラグは、作者が見いだした意識の中心を辿って到達するまでの時間のズレであり、作者の思いに受け手が追いつく時間のズレである。

これは、先日読んだ「なぜデザインなのか」の中で原さんが仰っているように、「”わかった” の先にある何かを芽生えさせる」ことに近く、私のやりたい・やらねばならない意識の持ち方だと思いました。

なぜデザインなのか。

2009年7月27日 月曜日

「なぜデザインなのか。」を読みました。
原研哉さん、阿部雅世さんのデザインをテーマにした対談をまとめたものです。

「デザインをテーマに」と書いたものの、単にビジュアル的な造形についての対談ではなく、「デザインを学ぶことはどういうことか?」「デザインが生活とどう結びつくのか?」「デザインとどう関わるか?」といったことを、お二人の考え方をさらりとお話されている内容です。

デザインというと、どうしても造形の美しさにばかり注視してしまうような素人の私ですが、この書籍を読んでデザインに対する意識は少なからず変わったと思います。また、デザイナではないにしろ制作に携わるものとして、何かを作り出す際の関わり方の心得のようなものを、いま一度改めさせられました。
 
 
本当にたくさんのすてきな言葉がありましたが、いくつかを抜粋します。

コミュニケーションの仕事は「わかった」の先にある何かを芽生えさせること

一方でコミュニケーションの仕事は、先ほど言ったとおり「わからせる」ことが目標ではないんです。投げられた情報をキャッチして「わかった」で終わらせない。どきどきさせたり、ときめかせたり、新しい探究心を生んだり、そこに行ってみようと思わせたり、ともかく忘れられなくさせる。要は「そのこと」を考え続けてしまうような状況をつくること、受け手の脳をさらに活発に運動させていくことが重要なんです。

「なんとなく素敵」ではメッセージにならない

何もしていないように見えて、実は緻密に制御されている。猫の毛なんかでも、なんでもなく生えているようでも、ぜんぶの毛が一定の方向をきちんと向いている。 – (中略) – 木の葉は一枚一枚がすべて太陽の光を少しでも効率よく受けようと、意思を持って隙間なく生い茂っているから、樹として美しい。