ヨロコビの感じ方。

先日、大学卒業後に入社した会社でお世話になった大先輩と久しぶりに食事をしました。彼は中国から日本の美大に入り、そのまま日本人として DTP、WEB の現場第一線を走ってきた人。齢50を迎える雰囲気を感じさせないパワーに、懐かしさと何となく嬉しさを感じつつ、あまり美味しくない中華を食べました。

彼には今、美大を出たばかりの新人デザイナーが1人ついているそうです。スピード不足は否めないものの、与えられた仕事を正確に且つ丁寧にこなしているのだけど、彼は新人くんに納得がいかないという。

おれが仕事を始めたころは、先輩の手伝いばかりだった。所謂、下積み。だからこそ、初めてデザインを1つ任されたときの喜びは、今でも忘れられない。それは確実に、今まで、これからの自分の支えとなる気持ちの1つだ。だけど、今の連中は自分の手仕事に喜びを感じていない。だから自分のクリエイティブに熱くなれないんだ。

と。下積みの要・不要は別として、自分の手元にある仕事に対して喜びを感じる人も、喜びの濃さも薄くなっているのだろうと、私も思います。それは、単純に作り手として社会人としての情熱が冷めているからではなく、技術やアプリケーションが成熟することで、早い内から、それこそ学生の時分から、作る喜びと、それによるある程度の達成感を得てしまっているからなのかもしれません。

モノ作りにこだわり、作り込むことに辛さと喜びを感じていた時代から、質より量の風潮にさらされる今、自分は何にヨロコビを感じたいのかを考えてみるのも必要なんだと思います。そして、それを感じさせてあげることも。

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