裁判員制度に見るメディアのあり方。

歴史的な改革と呼ばれ始まった「裁判員制度」。その初判例は、懲役15年(求刑16年)という判決で一旦幕を引いた。

裁判の4日間、マスコミは連日こぞって審理の状況を報道していた。
今回の判例は殺人罪。刑事事件としても相当シビアな判例であることは間違いない。その上、裁判員制度の初判例なのだから、マスコミや世論が注目することは当然だろう。

さて、報道の主はなんだったろうか?

私は、ほぼすべてのメディアの視点が、選出された日本初の裁判員の一挙手一投足に向けられていたことに嫌なものを感じずにはいられなかった。これは裁判なのだ。制度のお披露目会ではないのだ。

犠牲になった人がいる。犠牲になった人の遺族がいる。そして、加害者がいる。

判定が下り、メディアも世論の興味もこの判例から日に日に離れていくのだろう。我々の日常において人を裁くという場は身近ではないから、しようがないことかもしれない。

だが、考えなければいけない。

もし自分が、今回の初判例のような事件の関係者だったとしたら?自分たち自身のことなのに、そこを無視して別なところばかりにフォーカスされていることを、どう感じるだろうか?

人の命が奪われたという事実。裁判員制度は、その事実を検証し正しく裁くための1つの手段に過ぎないことを忘れてはいけない。

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